奏であう。と言うタイトルが決まったのが去年の12月あたまくらい。
吊り下げるガラスの棒「野傍ノ泉池」を101本からはじめ、毎年100本ずつ増やしていこうと試み、奏であう。で400本とする予定。
屋外に展示する場合、風が吹くのでガラスが揺れて音が鳴る。
どうにか屋内でもガラスを揺らすことが出来ないかなと考える。
いろんな方法を考えた。
その中で一番良さそうに思えたのは、寒いテンポラリーでストーブをつければ、全体的に空気が動くんじゃないかな?ということ。
音もなく、空気が動くことが大切だ。
さらに動きやすくするためにモビールの様にしたらどうかな?と考える。
うまくバランスを取れば、少しのきっかけで動くかな。
ここまで、理論上問題なかった。
2016年12月25日クリスマスの日。
前回の展覧会「みつめあう。」でオープニングライブをやってくれた太田ヒロさんが亡くなった。
太田ヒロさんは、自作の鉄を叩いて演奏する音楽家。
結果的に太田ヒロさん自身最後のライブとなったその日、叩いてくれたのは丸い鉄だ。
いろいろな節目にいつもふらっと現れ「今回ちょっとやらせてくれよ」と演奏してくれたヒロさんに何かお礼がしたかった。
何か。
そして「奏であう。」と言う展覧会タイトルが急に意味を持つようになる。
テンポラリースペースのオーナー 中森敏夫さんは、ずっと作品を見てくれている貴重な人。
そして、冬のガラスの展覧会に一番先に共感してくれた人が中森敏夫さん。
今までたくさんの作家の作品を見てきただけあり、とても鋭く作品を見る。
そんな中森敏夫さんのギャラリー テンポラリースペースで毎冬展覧会をする。
それは、一年間の俺自身の確かめのような役割の展覧会。 メゾンエオブジェに参加していた時、ふと思いついた。
野傍ノ泉池と以前の展覧会で飾った丸い「冬光」でモビール作ったらどうだろう。
太田ヒロさんが叩いてくれたような丸いやつを使って。
400本吊るすよりももっと大事で俺にとって意味がある。
中森敏夫さんに帰国後、今年は400本吊るさないと告げる。
特に理由も聞かず、おーそうか。と一言答える。
いつの頃からか、この毎冬の展覧会のDMは友達のウータンと一緒に作っている。
その前の年の展覧会の写真を使って。
今回も何枚かの写真と一つの詩をウータンに渡す。
ウータンは、気に入った一枚の写真を選びテキストを写真に乗せ写真面を完成させる。
そして、去年のDMのデータを確認しながら宛名面に取り掛かる。
去年の宛名面には、太田ヒロさんのライブの告知が載っていた。
ちょっと待って!
ウータンが選んだ写真のキャンドルがたくさん光っているところ、それは太田ヒロさんが演奏していた場所。
1本2キロ弱の野傍の泉池と1枚1キロ弱の冬光とのモビールは難しかった。バランスを取ることはもちろんのこと、この重さのものを空気のわずかな流れで動かすのは簡単なことではなかった。
何日も何日も調整をし、それでも動かない。
焦りはあるものの、テンポラリースペースだったらもう少し空気が動くから、まー大丈夫かな。
最後はいつものお気楽モード。
搬入の日、テンポラリースペースに着くとすぐ目に飛び込んできたのは、大きなアラジンのストーブ。
花人 村上仁美さんがテンポラリースペースにプレゼントしたものだと言う。
これだけ大きかったら、空気がかなり動きそう。
この大きなアラジンのストーブは、野傍の泉池と冬光のモビールの下に置いた。
見事にこのモビールは、動き出した。
しかしそれ以外のモビールは、動かなかった。
何かがまだ足りていない。
それでも、野傍の泉池と冬光のモビールが動いたのはよかった。
搬出を終え、ガランとしたテンポラリースペースの真ん中に野傍ノ泉池と冬光のモビールを飾った。
これだけだとちょっとさみしいけれど、こんな展示の仕方でもう一週間。
きみがぼくに
奏でるように
ぼくは奏でつづけよう
きみのために